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「ハンドレッドエッジ……{完売しました}」

 一瞬で場が凍る。ソーンラッドは時計の針を見る。

「二分か。まぁ、掛かった方か」

 ソーンラッドは立ち上がり、涼しい顔で拍手を送る。

「皆さんのおかげで第一目標クリアです。お疲れ様でした」

 数秒の沈黙……すぐ全員が、デッカーの周りを取り囲んだ。
 デッカーの見ていたチャート画面を全員が覗き込む。チャートグラフはほぼ垂直を描いて天に上り、生産予定数である、天井まで届いてしまっている。

「売り切れ⁉ 売り切れっていった今⁉」
「見間違いじゃないのかい!」

 チャメルが唾を飛ばし、レベッカの巨乳がデッカーの頭に圧し掛かる。

「デッカーくん。事前予約分で幾つ用意してましたか?」
「ヴィ! ヴィレッジの指示で生産予定分の全てを回していたのですが……!」
「何個だ! 二万か! まさか……四万か⁉」

 ダートが恫喝するような声音が響く。デッカーは青い顔で言った。

「{十五万個}です」
「十五万ぅうん⁉」
「俺らの模型《モデル》が二分で……十五万個?」

 マツキが声を裏返らせ、ダートは信じられないといった、つぶやきを漏らす。ソーンラッドのみ、冷静な態度を崩さない。デッカーにすぐ指示を出す。

「デッカー。これで交渉のカードはできた。俺の言っていた二次生産分の発注を至急、上に通してきてくれ」
「ビ、B案の方ですか?」

 顔に脂汗を浮かべるデッカーに、ソーンラッドは叱声を飛ばす。

「A案に決まってるだろう! 早くしろ! 予約戦に間に合わなくなる!」

 デッカーは光学画面を閉じると、転びそうな勢いで駆け出していった。

「よし。売上目標の四分の一といったところか。案外{チョロいな}」

 ソーンラッドは口の端を釣り上げるようにして笑う。騒然とするスタッフたちは、その声を聴いて……その顔を見て……底冷えする恐怖をソーンラッドに抱いた。

「あんなに前評判は悪かったのに」

 チャメルが零す。皆も全く同じ気持ちだ。ソーンラッドは椅子に座り直すと、背中の凝りを解しながら応えた。

「これは経験談……失敬。デザイナーのジンクスのようなものだが」

 経験談と言いそうになったのは、この世界に来る前に体験したことだからだ。
 ソーンラッド・リブソールの人生ではなく、奏形創司の持つ引き出しから、今回の結果はある程度、予測が立っていた。

「新作が発表された時、ネガティブな意見が多いほど売り上げが伸びる……私の体感だが、ほぼ100パーセントと言ってもいい」

《これ……行けるな》

 ネットが炎上したときにソーンラッドがそう零したのは、既視感による確かな手ごたえを感じたからだ。

「新しいものを買って自分の目で確かめたいという人間の欲求があるのではと、私は思っている。好感度と購買意欲は必ずしもイコールではないというのが持論だ」

 涼しい顔のソーンラッドにベガは神妙な顔で聞いた。

「いったいどんな魔法を使ったんですか?」

 ダウトムーンの先行予約で、過去最高に注文が入ったのは三二〇〇〇個。これは、およそ三〇日をかけてジリジリと入っていった予約数だ。
 先行予約はそもそも数字が入らない。客の大半はバウトの是非で模型《モデル》を買っていくからだ。しかしヴィレッジと名乗る、このプラモーターはその定説を覆した。
 先行予約開始の数分で市場に流すはずだった、すべての模型《モデル》を売り切ってしまったのだ。これには感情を見せないベガも色を失っていた。

「すべてはⅢアカデミーで行ったゲリラプロモーション。ここから私の仕掛けは始まっていた」

 ソーンラッドは腕を組んだ状態で人差し指を立てる。

「一つ目は話題作り。ハンドレッドエッジを生徒たちに撮影させたのは情報を拡散させるためだ。人の口コミは、燃え広がればとんでもない宣伝効果を生む。事実、半日でハンドレッドエッジは大衆の注目を掻っ攫った。この時点での好感度など、私の眼中にはなかった。大事なのは、より多くの人の目に触れた事実」

 タイラント世界の宣伝は会社発信のプロモーションが主流だ。
 高い金を積んでメディアを通し、宣伝を行う。生活の一部になるほどSNSが普及しても、コミュニケーションツールを、宣伝に利用しようという発想には至っていない。

「新型フォルテの情報は各メーカーにとってトップシークレットだ。裏を返せば、非常に関心の高い情報ということになる。そんなものがネット上に転がっていたら、誰だって覗きたくなるし、俺はこんな情報を手に入れたぞ! と自慢したくなるのが人情だろう」
「個人を、広告塔に仕立て上げた――⁉」

 ベガが目を丸めると、ソーンラッドは不敵に笑ってみせた。

「もう一つは地元、Ⅲシズオカを味方につけること」

 大炎上したコードビースト発売のニュース。
 滂沱のネガティブコメントの中でしかし、応援する声は存在していた。それはコードビーストと、そのグラップラーの素性を知る者が書いたものだとソーンラッドは見ている。
 田舎からグラップラーが誕生したとなればこんな栄誉な話はない。
 Ⅲシズオカはやや閉鎖的だが、身内意識が強い。地域のニュースは、瞬く間に地元住民の耳に入っていく。

「生まれも育ちもⅢシズオカのグラップラー。アルジェ・メッセルを応援する空気をⅢに蔓延させるのも私の狙いには入っている……バウトの戦績に関係なく、ダウトムーンの模型《モデル》を買う層を創り出すためにな」
「そんなことできるの?」

 疑問を唱えたアルジェにソーンラッドは、自分の端末の光学画面を出す。拡大して先ほどのチャートをデスクの上に表示させた。

「現にできてるだろ?」
「あ……!」

 アルジェだけでなく、他のスタッフも端末のチャートに視線を寄せる。
 タイラント世界の模型《モデル》市場は弱肉強食。
 バウトで勝った機体の模型《モデル》ばかりが売れていく。しかし、ソーンラッドは全く違う切り口から、売れ筋を作るといっているのだ。

「見ていろ……ハンドレッドエッジのデビュー戦。ダウトムーンサイドの席は観客で溢れかえるぞ。チャメル」
「は! はい!」

 背筋をピンと伸ばして返事をする。

「事前予約が二分で終了したとすぐに公式ページで流せ」
「はい! すぐに!」
「情報を操作し、コードビーストに感情を移入させろ。デザインで、設定で、バックストーリーで、可愛い女の子で……お客が抱いた、この感情のうねりが莫大な金を生む」

 ソーンラッドは悪人の顔で断言する。

「真のエンターテインメントというものを世界中に見せつけてやる」
「俺の目に狂いはなかったッ」

 マツキは目を光らせる。
 レベッカやチャメル、ダートもまた、ソーンラッドへの印象を裏返らせる。
 畏怖――今やこの二文字を大人たちは目の前の学生に向けていた。
 周りが引いていたので、アルジェが注意するように背を指で突く。ソーンラッドはわざとらしく咳ばらいをし、今後の話をした。

「こほん。このようにプロモーションもがんがん仕掛けていく。開発班は引き続き、エッジの完成を急いでほしい」
「まっかせてください!」
「ダードは引き続き、アルジェの特訓を。あとで宣材用の素材も注文する。レベッカはスタジオを押さえてくれ」
「わ、わかった」
「すぐ!」

 ダートは緩慢な様子で、レベッカは小走りで持ち場に移る。
 各々は忙しなく、自分の持ち場に戻っていった。



「ソーソー! ソーソーってば!」

 廊下でソーンラッドを呼び止める。ソーンラッドは振り返り、腰に手を当ててドヤ顔になった。

「言ったろ。ネット評判なんて当てにならないって」
「う、うん」

 アルジェは長い髪を弄りながら視線を逸らす。

「安心しろ。五億程度、この調子で俺が稼いでやる」

 それを聞き、アルジェは息を呑む。

「国玩の連中にも好きにはさせんし、おじさんの工場も従業員に兄さんたちの生活も壊させない」

 ソーンラッドの仏頂面を見上げて頬を朱に染める。長い髪を鼻に押し付けた。

「ねぇ。なんで、ここまでしてくれるの?」

 片やソーンラッドは一瞬考える。歯切れ悪く質問に答えた。

「……弁当代だ。六年も滞納してたからな」

 アルジェの為――とは言わなかった。
 これは自分の闘いだ。アルジェの未来に影が差せば、自分の未来にも影が差す。アルジェが不幸になってしまったら自分は幸せになれない。
 それほどまでに、アルジェ・メッセルはソーンラッド・リブソールの人生に食い込んでしまっているのだ。それに――

「あと俺が創ったもので世界をぶん殴りたくなった……理由があるとすればそれだろう」

 ソーンラッドは覚悟を新たに次の施策に乗り出す。早足で廊下を去っていった。
 そんな彼の後ろ姿にアルジェは虚脱した。壁にもたれかかると、その視線は蕩けるように上気していった。

「こんなの……結婚したくなっちゃうじゃない」
「結婚するのは借金返してからですよ。アージェちゃん」

 そんな彼女にベガが突っ込む。アルジェは慌てて今の発言を誤魔化した。
 その後もソーンラッドのプロモーションは、市場を大いに賑わせる。





 一週間後。

「アンタ、なんてことしてくれんのよ!」
「へびち!」

 アルジェのビンタがまた火を吹いた頃、チーム【コードビースト】は、Ⅲの住民を完全に味方につけていた。
 コードビーストシリーズの発表――
 XZMーFE05【ハンドレッドエッジ】のプロモーションムービーの公開。
 それに併せ、謎のルーキー、{アージェ・メルヴェのプロフィールが載せられたのだ}。
 掲載されたのはグラップラーになるまでの経緯……具体的には両親の工場を救う為に、五億の借金をしてグラップラーになったというリアルストーリー。デビュー戦の対戦相手である、タイラント国有玩具が裏で動いていることを匂わして。
 これにより、Ⅲシズオカの住民はⅠシズオカへの怒りを爆発させる。

『狙われたⅢシズオカ』

 そんな噂がダウトムーンの応援する声を激増させた。
 アルジェを救ったダウトムーンには人情派のイメージが付き、国玩には逆に、地方を乗っ取ろうとするⅠの刺客というイメージが付けられた。
 そうなるとアルジェは、巨悪に立ち向かうⅢシズオカのヒロインということになる。このメイクドラマのようなノンフィクションは大衆の心を鷲掴みにした。その結果――

「うちの株価一・八倍ですって。笑いが止まりません」

 新聞の一面を読んでいたベガが言う。彼女の傍に、チャメルとデッカーが興奮した様子で駆け寄ってくる。

「ハンドレッドエッジの再予約! いつ始まるのか、広報部の電話がなりっぱなしだそうです、お嬢!」
「予約戦のチケット、プレミアムから補助席まで完売です! 天下の国玩より早く売り切れちゃいましたって!」

 ソーンラッドに反目していた四人も、すっかり態度を改めていた。その表情に、纏う雰囲気に、活気が漲っている。
 アルジェを訓練に戻し、ソーンラッドは自分のデスクに戻る。

「ヴィレッジ」

 するとレベッカが足早に近寄ってくる。

「予約戦後のⅢ感謝セレモニー、衣装案できました」

 ソーンラッドに光学画面を見せる。ソーンラッドは横に並ぶ衣装デザインを眺め、ときめく一つを見つけた。

「2のBで。素晴らしい」
「ありがとうございます」

 軽くお辞儀し、自分の机に戻っていく。コードビーストは今や、会社全体を巻き込む熱風に変わりつつあった。

『国に噛みつく、勇敢なる牙』
『Ⅰの陰謀に立ち向かう、Ⅲの月』
『Ⅲシズオカの人情派企業』

 人々からそんな風に期待されてしまえば、社会使命に突き動かされる社員も出てくる。
 ダウトムーン社内では、見事な{掌返し}が起こっていた。
 この風に乗りたい。ヒーローになりつつある【コードビースト】に自分も関わりたいと、事業部間では醜い争いさえ始まっている。
 とりわけ波に乗り遅れた兵器開発事業部(模型事業管轄)の動きは露骨だった。

《ベルガベガ部長。是非、他にも優秀なスタッフをコードビーストに参画させたいのですが……望まれるのでしたら、私でも》

 サンマ傷の整備室長が毎日のように訪問するようになり。

《一三パーセント重量カット、耐久率一二パーセント増のサンプル装甲を作ったのですが! 是非、ヴィレッジに見ていただきたく!》
《今の設計以上の加速率を実現して見せます! よければ俺をコードビーストに!》

 同僚を出し抜いてソーンラッドにアピールする社員が後を絶たない。バウト事業部だけでなく、一般の開発部からも現れる始末だ。

 更には――

《君が噂の戦略アドバイザーさん? ふ~ん》
《あの人が、一案件一億ラントのプラモーター⁉》
《やだ、イケメン。タイプ》

 秘書課に咲く高嶺の花から、アルバイトの受付嬢まで……ソーンラッドはその容姿も相まって、女性社員の標的になりつつあった。
 彼女の座を狙う空気まで漂い、アルジェはその気運に一人で対抗していた。

『アドバイザーは幼馴染を救うためにこの案件を引き受けた』
『新米グラップラーとアドバイザーは熱愛』
『アージェはアドバイザーの子を宿している』

 ソーンラッドに近寄ろうとする女たちをデマでけん制……熾烈な女の闘いもまた、本人の感知しないところで過熱している。
 ダウトムーンのお荷物事業――そんな汚名を濯ぐ経済効果を、バウト事業部は日を重ねるごとに生み出している。

「こんな商法、誰が思いつくというのでしょうか」

 新聞を閉じ、ベガが言う。タイラントの市場を握るのは『強いチームを抱えるメーカーのみ』――試合で勝った機体の模型《モデル》のみが売れる『戦力絶対評価』のプロモーション。
 それが不文律としてタイラントには定着していた。しかしソーンラッドは、バウトを行わずとも市場を操作してしまっている。

「これが、ヴィレッジですが」

 ワイシャツの袖をまくり、マツキ班長と一緒に3Dデザインで設計をするソーンラッド。
 異世界から転生した玩具デザイナー――奏形創司はその知恵を遺憾なく発揮していた。