09

 夕方。
 ゲリラプロモーションを終えたソーンラッド一行。
 ダウトムーンの格納庫に帰るや、アルジェはソーンラッドの胸倉を掴み上げる。彼らが立つ、作業用通路の奥側には、巨大ロボットの胸から上が覗いていた。
 それはキャンペーンカーのモニター画面に映っていた、ハンドレッドエッジである。

「こ、こここ! これを! アンタが創らせたって言うの⁉ 嘘でしょ⁉」
「アルジェ、ちょーく、チョークっ」
「それに戦略アドバイザーとしてダウトムーンと期間契約って何!」

 興奮したアルジェは思わずソーンラッドの頬を張った。

「ビンタ‼」
「チームの運営に関わるとか、アンタ正気⁉ 模型《モデル》のプロモーションも兼任してやるとか! 寝言よね? 妄想よね? どうしてアンタがそんなことできんの? ねぇ!」

 公衆の面前でビンタをされ続けるプラモーター。
 ちなみにこの場所は、ダウトムーンの旧チーム【ベルデ】が使っていた整備ハンガーである。ハンガーと言っても小さなビルなら何棟も納まってしまうほど広大なスペースだ。
 壁面のハンガーボルトには、ハンドレッドエッジが直立の姿勢で納められている。
 フォルテギア規格は、標準サイズでも全高二〇メートルを超える。これだけ広くないとフォルテギアを整備することができないのだ。
 上半身から上を覗かせるは、ハンドレッドエッジ。その前に、マツキ班長と増員した補助要員の整備士が七名。ソーンラッドの近くにはベガ、ダート、レベッカ、チャメル、デッカーだ。整列するダウトムーン社員たちの前で、総合アドバイザーことヴィレッジがアルジェに殴られているという構図だ。

「ええい! 落ち着かないかDカップ!」

 アルジェの乳をむんずと掴み、アルジェが「にゃあ!」と声を上げて距離を取る。
 チャメルがサイテーと言ったが、鼻血がぽたぽたと床に落ちる様を見て考えを改めた。
 ベガがポケットティッシュを差し出すと、ソーンラッドは涙目でそれを受け取る。片方の鼻の穴にティッシュを詰め、やっと居住まいを正す。

「説明した通り、私はプラモーター――模型《モデル》専門の経営戦略アドバイザーとして、運営に期限付きで関わっている! ダウトムーンのチームは一新! ベルデは【コードビースト】と改称し、今後のバウトに臨んでいく!」
「コードビーストぉ?」

 アルジェは思わずハンドレッドエッジを見る。ハンドレッドエッジの胸に掲げられる、獅子の意匠からアレを差しているのかと直感的に思った。

「あの最高にカックイー機体がお前の専用機、ハンドレッドエッジだ。ちなみに今は外装パーツを既製品に被せただけのハリボテなので、フレームはこれから作っていく」
「専用機? 私の? え……だって」

 不安げな視線をベガに寄せた。ベガがその心中を察したように言った。

「あぁ、デビュー戦のことを気に病んでいるようでしたらお気になさらず。むしろ、あり合わせの機体でアマネ選手に一撃食らわせたんです。こちらの不手際一〇〇パーセントの試合で、あれは十分すぎる働きだったと評価しています」
「じゃあ!」
「ハイ。新生コードビーストのグラップラーとして、今後も活躍を期待しています。アージェちゃん」

 アルジェは腰が砕けそうになる。

「そしてベルガベガ・アマノガワこと、ベガ氏は、引き続きバウト事業部の総括兼、コードビーストの運用主任として、おまえをサポートしてくれる」
「いえーい」

 ベガが低いトーンの声でVサインをする。アルジェは「お願いします!」と勢いよく頭を下げた。

「次にハンドレッドエッジの開発主任、マツキ班長だ」

 少し離れたところにいるマツキを手で差す。 寝癖をつけ、作業着を着たオジサンが肩を弾ませてやってくる。その目には濃い隈ができていた。

「これから訓練に入っていくが、乗って思ったこと、要望はどんどん彼に挙げてくれ」
「君がアージェか! ビーダッド戦、見たよ! 君ならエッジをきっと乗りこなせるだろう! 機体や操縦に関することは、何でもマツキオジサンに言いなさい!」

 マツキ班長はハイテンションだ。もう丸三日寝ていなかった。

「彼はたった二週間で、外装パーツのデザリングから製造、組み上げまでやりきってくれた。腕は本物だ。現在は専用フレームの作成で、デスマーチ中だ」
「デスマーチって、アンタ……」
「絶対にこのエッジを! 並みいるフォルテを噛み潰す、最強のモンスターマシンに仕上げてみせよう! これからよろしく!」

 アルジェは気味悪がるも、おずおずと握手を交わした。

「次に彼らだ」

 ソーンラッドはベガの部下たちを紹介する。アルジェにとっては面識のある四人だったが……アルジェはすぐ違和感に気付いた。

「…………」

 表情の裏に貼り付いた、疑念のような影。ベガやマツキと違い、彼らはネガティブな感情を抱いているようにアルジェは感じた。

「スケジュール周りはデッカーとチャメル。二人には主にバウトのマッチメイクからおまえの現地入りなどでサポートしてもらう。まぁ、マネージャーのような立ち位置だ。今後、グラップラー業務に関することは彼らに聞け」
「……やっほ」
「また頼むよ。アージェさん」

 挨拶する二人。その声は、以前話した時よりもぎこちなく聞こえた。

「次にお前のコスチュームをデザインしてくれたレベッカ。衣装回りや宣材用の写真撮影は彼女に一任してる」
「よろしくお願いします!」

 アルジェはやや緊張気味にお辞儀する。レベッカは「ああ」と素っ気なく応えた。

「操縦、並びにコーチングはダート。以前も世話になったそうだな。引き続きギタギタに鍛えてもらえ」

 アルジェは少し破顔する。彼とはデビュー戦まで一番交流があり、よくしてもらったからだ。「よろしくお願いします!」と元気よく頭を下げる。

「……また頼むわ」
「?」

 ダートまでも様子がおかしかった。どんよりと重い空気が漂っている。しかし、ソーンラッドは調子を崩さない。ネクタイを結び直すと、鼻からティッシュを抜いた。

「この布陣でタイラント市場のトップを狙っていく。説明は以上だ。他、質問あるものは挙手」

 すると、チャメルがおずおずと手を上げる。

「ヴィレッジ……言いにくいのですが、ネットを開いてもらっていいですか?」
「どうした?」
「{バチボコに叩かれてます}。ハンドレッドエッジ」
「……ハイ?」

 アルジェの目が点になる。各々はすぐ、独自の端末でインターネットを開いた。アルジェも遅れて、よく閲覧するSNSを見ると声を上げた。

「ソーソー! 見て! 検索トレンド! 一位になってる!」

 トレンドというのは、リアルタイムで最も検索されている話題や語句のことを指す。
『ハンドレッドエッジ』『ダウトムーン』『校庭にトレーラー』『美少女グラップラー』等々の話題でネットは持ちきりになっていた。

「おー」

 ソーンラッドもまた自分の端末でネットの反応を眺めた。

『足細すぎ』『これ考えた奴、フォルテ知らないだろ』『これは勝てない』『奇をてらえばいいってもんじゃない』『腰がエロい』『コレジャナイ感』『かっこいい』

 ざっと眺める。所感、ネガティブなコメントが七割~八割といったところだった。
 SNSのコメントはまだ優しいが、匿名掲示板は更に炎上していた。制作サイドであるダウトムーン叩きに始まり、開発陣営の人格否定とお祭り状態だ。

「ハートの弱い奴が見たら、明日にでも首を吊りそうな燃えっぷりだ」

 ソーンラッドは平静を装うも、口が僅かに痙攣している。だが、この中でもショックを受けたのはダードだ。肩をわなわなと震わせ、鋭い眼光をソーンラッドに浴びせた。

「待ってくださいよッ……ヴィレッジ」

 声のトーンを下げてにじり寄る。

「宣伝して初日で炎上って、こんな調子で本当に大丈夫なんですかい⁉」

 声を張ったダートにアルジェは背筋を反る。ソーンラッドは顎に手を当て、ネットの反応を漁り続ける。

「コレ、社内の人も見てるよね」
「サイアクなんだけどー」

 デッカー、チャメルも消沈した様子だ。レベッカも苦虫を噛み潰したような顔だった。

「……お嬢。これ、役員会呼ばれるかも」
「まー。その時はその時です」

 四人に反し、ベガは全く動じていない。しかし、今日までソーンラッドにさんざん振り回され続けた四人は、そうはいかない。

「ちょっとー。あんだけ偉そうにしておいて、コレはないでしょー!」

 チャメルもソーンラッドににじり寄る。アージェはここにきて、この事態はソーンラッドが引き起こしたものだと悟った。しかしソーンラッドはというと……。

「これ……いけるな」

 ボソっと、そんな一言を零す。この状況に似つかわしくない一言は熱くなっている四人の頭を冷やす。湖面に石が投げ込まれたように辺りがシーンとなった。

「な、なんだよ、いけるって」

 ダートが聞くが、ソーンラッドは話を打ち切るように手を大きく叩いた。

「ネットの評判は、今は見なくて良い。気にせず、お願いしていたタスクを消化するように」

 ソーンラッドは態度を崩さず踵を返す。

「事前予約まであと二日だ」

 そう言って最悪な空気の格納庫を後にする。アルジェは遅れて皆に一礼すると、ソーンラッドを追いかけた。



「ソーソー!」

 壁にもたれかかってお腹を押さえていたソーンラッド。慌てて居住まいを正すと、アルジェの方を向いた。

「どうした?」
「……本当はビビってたくせに」

 顔を青くしていた幼馴染の真意を看破する。

「学生が大の大人に囲まれれば、俺でなくてもビビるわ! 殴られたらどうしようかと心の中で叫んでいたぞ!」
「もう、バカ! こんなことして……」

 アルジェは泣きそうな顔で詰め寄る。対するソーンラッドは腕を組み、ツーンとそっぽ向いた。

「ふん! ネットなど当てにならん。言いたい奴には言わせておけ」
「そういうこと言ってるんじゃなくて!」

 アルジェがソーンラッドの腕を掴む。

「プラモーターか何か知らないけど! もしこんな大勢の人や企業を巻き込んで、大損なんてさせたら、アンタどうなるかわかってんの⁉」
「ヴィレッジに敗北は無い」

 泣きそうになったアルジェにソーンラッドは断言する。アルジェは大きな瞳を開く。狼狽えるアルジェの頭に、ソーンラッドが優しく手を乗せた。

「そして俺は、お前を悲しませる嘘をついたことは一度もない」

 それは一五年以上の親交があるアルジェでさえ、見たことのない顔だった。

「俺がヴィレッジを名乗った以上、勝利は絶対だ」

 ソーンラッドはぽんと頭を叩き、「仕事がある」と背を向ける。

「おまえは余計なことを考えず、ハンドレッドエッジをモノにすることだけを考えろ」
「…………」

 アルジェはそれ以上、何も言えなかった。疑問は何一つ解消されないまま、グラップラーとしての慣熟訓練に入っていく。





 ソーンラッドを招いたことで逆風に晒されるダウトムーン。
 ゲリラプロモーションから、たった二日でバウト事業部は窮地に追い込まれてしまう。
 ベガは役員会に出頭し、説明という名の吊るし上げを食らった。もともと社内の風当たりが強かったレベッカは、すれ違う度に嫌味を言われるようになる。マツキが兵器開発部のスタッフから囲まれる場面もあった。他の面々も似たり寄ったりといった状況で、社内の空気は最悪だった。
 ベガ、アルジェ、マツキを除く、スタッフたちの不満は雇われアドバイザーに向かう。しかしソーンラッドは、態度を崩さず、彼らに指示を出し続けた。
 そうして迎えたハンドレッドエッジの先行予約開始日――

「……」

 アルジェはそわそわした様子でソーンラッドの傍に立つ。
 デスクには、腕を組んで時を待つソーンラッド。周りにはレベッカ、チャメル、デッカー、ダート。そして格納庫から先ほど合流したマツキだ。
 コードビーストのメンバーがテラスに集められていた。

「ハンドレッドエッジの予約開始まであと一分です」

 デッカーが言う。ソーンラッドは時計の針を見た。長針が間もなく正午を刻む。ベガは行儀悪く机にお尻を乗せ、足をブラブラさせている。
 ダートもチャメルもレベッカも。
 光学画面を立ち上げ、売り上げチャートを見守っている。
 彼らの顔に期待の色なんてない。あるのは失意だ。この三日で嫌というほど思い描いた、悪いビジョンの答え合わせ……死刑宣告を待つような気分だった。
 アルジェは心配そうにソーンラッドの横顔を見る。手を組んで「神様」と祈った。

「せ、先行予約、始まりした」

 デッカーが震えた声で言う。

「初動八〇〇〇、いや五〇〇〇でも捌ければ」
「……」

 ダートが呟くように言い、レベッカは厳しい表情で無言を貫いている。

「売れろ! 売れろ! 売れろ! 売れろ!」

 マツキは空気を読まず、大きな声でエールを送っている。重苦しい空気が漂う中、画面を眺めるダートだけ「えヴっ!」と変な声を上げた。

「どうしたんですか? デッカーさん」

 異変に気付いたアルジェが声を掛ける。デッカーは、油のきれたロボットのように首を曲げ、アルジェとソーンラッドの方を向いた。

「ハンドレッドエッジ……{完売しました}」