02

 放課後の帰り道。

「ソーソー。ソーソーってばっ」

 ソーンラッドの後ろをアルジェが小走りで追ってくる。

「なんで置いてっちゃうのよ!」
「いや。オマエ、後輩とか友達に呼び止められてたし」

 ボッチのソーンラッドとしては気を使ったつもりだ。しかし、アルジェは不満そうに頬を膨らます。

「そんなこと言ったら、アンタだって二時限目の休み時間にD組の子に声掛けられてたじゃん」
「ああ。校内掲示のポスターを頼まれててな。喜んでくれたよ」
「ふん。アンタ、小さい頃から絵の腕はプロ並みだもんね……あとお昼! 私が行ったとき、後輩の子が隣に座りたそうにしてたッ」
「おまえの弁当を食べてたら冷やかされたんだよ。この身体の五分の一くらいはアルジェの作った飯で出来ているといったら『もう結婚しろよ』と言われた」
「ふ、ふーん。そ! えへへ……あ! あとアンタ。廊下で女の子の胸、チラ見するのやめなさいよ。アレ、絶対気付かれてるわよ?」

 ソーンラッドは「ぼほ!」と、思いきり咳き込んだ。

「ししし、してない! なんだそれは、冤罪だ!」
「してた! 今日は二三回! 私、数えてたもん!」
「言いがかりだ!」
「はい証拠」

 アルジェはスマートを見せて、当該ムービーを流して見せる。

「いいことを教えてやる! これは盗撮というもので、どうか誰にも見せないでください!」
「ほんとサイテー。ことあるごとに私の胸、ガン見しといて。それだけじゃもの足りないって言うの? 谷間が見える服、着てるときなんて、顔より胸見てる時間の方が多いからね、アンタ?」
「まさか、気づかれていたなんて⁉ すまん!」
「謝ってもどうせ見るくせに! 私だって標準に比べたら大きい方じゃん!」
「ハ? 知っているに決まってるんだが? なめてます?」
「知るなバカ!」

 学校の帰り道はずっとこんな感じだ。
 アルジェはモテる。それもぶっちぎりで。ソーソーも見た目はいいので、顔面目当ての女子が何人かは寄ってきた。しかしそれは入学当初の話で、この関係が周知となれば無謀な挑戦者はいなくなった。付き合っていないと公言しているが、誰も信じていない。
 互いに言いたいことを言い合う。やがて熱が収まるとソーンラッドはポツリと言った。

「……俺に気なんて使わなくてもいいからな」
「なんの話?」
「就職だ。おまえだったらどこにでも入れるだろ。俺が決まってないからって、無理に合わせる必要なんてないぞ」
「べ、別に合わせてないし。ソーソーくん、自意識カジョー」

 アルジェは少し声を上ずらせる。それから顔を朱に染め、明後日の方を向いた。

「ア、アンタみたいな偏屈、もしかしたらどこも雇ってくれないかもしれないわよ」
「……おまえに言われなくてもわかってるよ」

 ソーンラッドは人受けする性格ではない。自分でもそれはわかっていた。
将来に対しての展望もない。ぼんやり、インフラ関係や公共事業に潜り込めば生きていく分には困らないだろう、くらいしか考えていない。
 でも何故か踏み切れない。踏み切れないから、行動に反映されない。

「そ、その時は……うちにムムム! ムコに来るってのも、無くは無く無く無いかもねッ」
「……」

 ソーンラッドは僅かに目を広げる。心の中でアルジェが「無い」を何回言ったかしっかり数え「有り」と言っていると確認した。

(アルジェの家に、俺が嫁ぐ? つまり婿か)

 アルジェと結婚する。
 まずアルジェとの両親とはべらぼうに仲がいい。共同生活も何とかなるだろう。アルジェはどうだ。美人で料理は旨いし、身体もそこそこエロい。生まれてからの付き合いともなると、楽しいとかつまらないという感情を超越している。もはや空気みたいな存在だ。考えた結果、『悪くないかも』がすぐ『いいな最高かよ』になった。しかし――

「見くびるな。ヒモなどまっぴらだ」
「……いうと思ったー」

 軽い語調に反し、彼女が肩を落としたようにソーンラッドには見えた。犬が耳を畳んで、肩を落としているように見えた。だから本心も隠さず伝えておく。

「勘違いしないで欲しいが、婿が嫌なんじゃなくオマエに養われるのが嫌なんだよ」

 アルジェの肩がぴくと動く。

「養われるくらいなら、俺がおまえを養いたい。男だからな」

 アルジェは目を丸めて、ソーンラッドを見上げる。すぐに顔を紅潮させ目を吊り上げた。

「ハァ⁉ なに、本気にしちゃってるの⁉ バッカじゃない? 冗談に決まってるじゃない! そんな上げ膳据え膳、美人嫁に職と家までついてくる美味しい話なんてあるわけないでしょ⁉ バカ、バーカ!」

 冗談と聞き、ソーンラッドは内心ガッカリする。アルジェは自分の髪を人差し指でくるくる丸め、口を尖らせる。プリプリ怒っていた。それから何か言いそうになり……。

(?)

 一瞬、その顔に影が差したのをソーンラッドは見逃さない。

「それに、今のうちなんかにきたら……」

 ボソリと零す。しかしそれからすぐ、怒り顔に戻る。

「もう、そこだから。じゃーね!」
「ああ。またな」

こうして二人の何気ない日常は今日も終わった。




 それから三日後。
 教室の隅に座るソーンラッド、その隣にアルジェの姿はない。

(……アルジェの様子が変だ)

 異変は三日前から起こっていた。
 まず、毎晩来ていたメッセージが来なくなった。
 アルジェは強烈なまでの構ってちゃんだ。毎晩必ずメッセージが来る。メッセージの応酬がしばらく続くと、電話がかかってきて二時間は無駄話をする羽目になる。まず、そんな日課がピタリと止んだ。
 次に登校。
 朝のアケゾン橋に、アルジェの姿を見なくなった。
 アルジェは登校日、必ずあの場所で待っている。それは雨が降っても、雪が降っても忠犬のように。ソーンラッドが風邪で休んだときは部屋まで押しかけてくる始末だ。
 何故かこの三日は、遅刻ギリギリで教室に駆け込んでいる。今日も自分の横には座らず、クラスで一番仲の良い友達の隣に座っていた。そして極めつけは……。

「お母さんか?」

 渡された弁当箱は空で、代わりに五〇〇ラント硬貨が一枚、テープで貼ってあった。
 ちなみに食堂のパンなら、三つ買ってジュースを付けてもおつりが出る。
 一昨日、昨日と、弁当のおかずの品数が減っていたことには気づいていた。通常、アルジェの弁当は主菜だけでなく副菜まで手が込んでいる。彩り豊かで、朝何時に起きて作ってくれたのだろう? と、心配になるくらいの手の込みようなのだ。それが本日は、ラント硬貨に変わってしまった。これは完全な異常事態だった。

(避けられている……でもアルジェが? 俺を?)

 五〇〇ラントを見ながら思う。実家のバイトで支払われているアルジェの小遣いだろう。硬貨をギュっと握り、パンは一つにしようと思う。もちろんおつりも返す。

(返すついでに……)

 ソーンラッドは帰り道に事情を聴こうと思った。




 放課後。
 ソーンラッドは肩で息をし、とある店の前に辿り着いた。

(なんでアルジェが、こんなところに?)

 放課後になるとアルジェは学校を飛び出していた。話しかける間もなかったので、走っておいかける羽目になってしまった。アルジェは足が速いので途中、何度も見失いそうになった。ソーンラッドは額の汗を拭い、制帽をまっすぐ被り直す。

(ライブハウス?)

 目の前には壁に挟まれた狭い階段が下に続いていた――――


(なん、だと?)

 店に入るや、渡されたのはサイリウムとペンライトだ。
 ライブハウスの奥には、こじんまりとしたステージ。
 ソーンラッドが通されたのは、ステージの前に並べられたパイプ椅子だ。周囲には同年代から、だいぶ上のお兄さんまで、サイリウムを持って応援している。というか吠えている。ソーンラッドの目には理性を無くした獣に見えた。
 そしてステージの上に立つのが――

『今日もやってやる! こうなったらヤケクソよ! 応援よろしく―――ッ!』

 フリフリの衣装を着たアルジェも吠えていた。

 ステージ後、アルジェが出入り口前の物販販売所で客を見送っていた。
 客が感想を言い、次々とグッズを買っていく。

「今日もありがとうございましたー。ダウトムーンをよろしくお願いいたしまーす」
「アージェさん! 公式戦がんばってください! 彼氏と見に行きますから!」
「ハイがんばりますね!」
「アージェちゃん。今日もいっぱい。買ってくね。今、一番推してる」
「あ、ありがとう、ございます。でも無理はしないでくださいね」
「女性客もまばらだが入っていたな」
「あーでも、今日はまだ少ない方でぇ」
「ダンスは要・練習だと思ったが、素人の頑張ってる感が逆に応援したくなるから自信を持て。緊張で顔が鬼のようだったが、まぁ鬼ってかっこいいよな」
「あ、ありがとうございます! すみません、まだ慣れてなくて」
「あと昼のお釣りだ。{アージェちゃん}」
「あ、お釣り? ハイハイ。あ! 何アンタ? 今日パン一つしか食べなかった……の?」

 アルジェは手の平に小銭を渡されてやっと気づく。
 小刻みに震える表情を上に持ち上げ、客の顔をちゃんと確認した。

「ソー、ソー」

 立っていたのは、隣でできた男性客の列を睨みつけるソーンラッドだった。

 ライブハウスの裏でアルジェと落ち合ったソーンラッド。
 制服の上着を羽織った状態で、アルジェは階段に座る。ソーンラッドは壁に背を預け、混乱する自分の額を指で押していた。

「ダウトムーン……中堅の総合メーカーが何故、おまえとこんなことをしている?」

 ソーンラッドは自分のスマートをアルジェに見せる。光の画面に書かれていたのはインターネットニュースだ。

《新進気鋭アージェ・メルヴェ! 赤の月・二三日にバウト出場決定!》

「おまえ……{グラップラーになったのか}?」

 ソーンラッドは険しい表情でそう聞く。アルジェは目をそらし、小さく頷いて見せた。

「なん、という」

 ソーンラッドは床に座り込む。背筋は凍ったように寒くなっていた。

(アルジュが……【バウト】の選手?)

 バウト――
 タイラント経済を牛耳っている模型《モデル》とは、切っても切り離せない娯楽だ。
 タイラント最大の一大エンターテインメントにして、フォルテギア同士を戦わせるバトルショー。企業が金を出し合って行う興行試合で、戦後最も発展したことから、平和の象徴と国民に愛されている。一試合平均、七万人もの人が押し掛ける。入場料、グッズ販売、運営に伴う飲食、放映権――バウトという興行が齎す経済効果は計り知れない。更に、試合がそのまま模型《モデル》のプロモーションとなっている。グラップラーとは、そのバウトに出場するフォルテギアパイロットの総称となる。
 メーカーが擁立するチームの代表選手。報酬は言わずもがな、社会的にたいへん栄誉なことである。それはつまり――
 ソーンラッドは壁に背を付けたまま、体育座りに座り直す。自分の膝に顔を埋めた。

(アルジェ……滅茶苦茶、勝ち組ッ!!!!)

 隠れた表情は皺だらけになるほど、悔しさで歪んでいた。

(そりゃ黙る! 俺でもそうする! 幼馴染は就職活動にも踏みだせず、ブツクサ文句を重ねる毎日! そんな奴に、グラップラーになりましたなんて……絶対言えない!)

 アルジェには幸せになって嬉しい。けど同じくらい、自分のところまで落ちてもらいたい。
二律背反の気持ちが、醜い男の嫉妬と葛藤する……しかしすぐに爆発した。ずっと対等だと思った相手が急に遠くへ行ってしまったかのような、置いて行かれた感。

「ごめん、言いだせなくて……でも折を見てちゃんと言おうと思ってたんだよ?」
「気にするな。言い出せない気持ちも理解できる」
「ソーソー?」
「べ、別になんとも思ってない。いやむしろ素晴らしい、さすがは俺の幼馴染だ!」
「大丈夫? 声、上ずってない?」
「上ずってないし! むしろ、いつも通りなんだが? 俺は大手を振ってお前の未来を祝福する……とか、やっぱ無理だぁ!!」
「きゃああ!」

 涙目になったソーンラッドがアルジェを後ろから抱きしめる。

「おまえまで俺を置いて行くのか! 自分だけ幸せになりやがって! この薄汚い雌豚め!」
「メ! メスブタ⁉」
「こうなったらお前を手籠めにして! そのスキャンダルを盛大にばら撒いてから……一緒に死のうッ! むしろ死んで!」
「落ち着き、なさいッ!」

 アルジェの後頭部がソーンラッドの鼻頭に突き刺さる。怯んだソーンラッドにアルジェはすかさずタックルし、マウントを取った。アルジェはグーで殴り始める。

「このエッチ! 野獣! 野外で初めてとか信じらんない! ちょっと頭冷やしなさいよ! この、思春期!」
「ぐほ! ごは!」
「それにこれは! そんな夢みたいな話じゃないの! この! バカソーソー!」

 ちなみにソーンラッドがアルジェにケンカで勝てたことは一度もない。
しかし、それでも「これがグラップラーさまの拳ですか! ハァッ! お強いことだ!」と、殴られながら吠え続けていた――――

「おじさんの工場に仕事が降りなくなった?」

 アルジェに膝枕してもらいながらソーンラッドが聞く。アルジェは暗い顔で頷いた。
 ちなみに甲斐甲斐しく、ソーンラッドの腫れた頬に濡れたハンカチを当てているが、すべて彼女が負わせた傷だ。

「おじさんの工場は、Ⅲ(サード)シズオカきっての金型工場だろう? 模型《モデル》専門の。急に仕事が降りなくなるなんてあり得るのか……?」
「Ⅲ(サード)にある模型《モデル》関係の工場は今、どこもそういう状態みたいで……うちもメーカー側から一方的に案件を打ち切られた感じなの」

 にわかに信じられない話だった。
 タイラントにおいて模型《モデル》は経済の支柱。いわば常時、超過需要状態といえる。金型成形技術を確保するのは、模型《モデル》を量産することよりもずっと難しい。一にも二にも、まず金型が出来なければ模型《モデル》は生まれないからだ。そのため、腕のいい金型職人は一人でも多く自社で抱えていたいのがメーカーの本音のはず。

(そんな下請けいじめみたいな話、初めて聞いたぞ)

「うち去年、機械とか入れ替えたじゃない? でも、その関係で融資も止められちゃったみたいなの……だから色々考えて、グラップラー契約を募集しているところに幾つか当たったの」
「それでダウトムーンに受かったというわけか」

 アルジェは頷く。契約の内容についても話してくれた。
 アルジェがプロモーションした機体の模型《モデル》案件は、両親の工場に降ろしてもらえる。そして直近半年分の融資はダウトムーンが引き受ける。
 会社規模的に一流メーカーのような宣伝ができないため、グラップラー自身も宣伝要員として駆り出されている、という話だった。

「すまん」

 ソーンラッドは膝枕から頭を起こす。アルジェの状況を鑑みれば、地獄に仏のような話に聞こえた。グラップラーなど決して簡単になれるものではない。プロスポーツ選手になるよりも難しい、誰もが羨む職業といえる。

「渡りに船のような話に思えるが、どうしてそんなに暗そうな……?」

 言いながらソーンラッドは言葉を呑んだ。話が上手すぎるように思えた。いくらフォルテギアの操縦が上手いとはいえ、実績もない学生を企業が対等に扱ってくれるものだろうか?

「あくまでこれは契約だから……選手として実績は、出さなきゃいけないんだ」

 アルジェは渇いた笑いを零す。

「私という人的資産を{抵当に}、お父さんの工場の借金を肩代わりしてもらったの。だから私は会社に最低でも五億の働きで返さなくちゃいけない」

 ソーンラッドはアルジェの真意を悟る。
 彼女は話さなかったのではなく、話せなかったのだ。

「借金五億の幼馴染……ハハ、口にして言うとインパクトあるね」

 ソーンラッド・リブソールと、アルジェ・メッセルの麗らかな日常は――――
 数日前に既に壊れてしまっていたのだ。