07

 テラスには重苦しい空気が既に立ち込めていた。

『驚愕! 模型《モデル》の方の開発部から給料三倍で粗大ゴミをヘッドハント』

 そのニュースは全社単位でその日の夕方には広まっていた。

「ダード、良かったのかい?」

 レベッカが苦言を呈するように言う。ダードもその強面を渋いものにしていた。

「たった半日で社内中の親の仇になった気分だ」

 結果を出せていないバウト事業部の風当たりは強い。上流にいるベガのチームは特にその煽りを受けている。それが体感、半日で十倍に増悪したようだった。

「新体制で新型機を開発、興行を成功させ、その上、模型《モデル》までヒットさせる……そんなもん、できたら魔法だ。この短期間で出来るわけない」
「最低でも一年は腰を据えてやるようなことだと私は思う。今更だけど」
「あぁ。果てしなく、今更だ」

 二人の視線が奥側に行く。
 夕日が差し込まれたテラスには、大きめのテーブルセットを挟んでマツキとソーンラッドが喧々囂々に言い合っていた。

「ですから、どう試算しても、耐久度が十七パーセントも従来基準を下回っているんですって! 従来機にもっとデザインを寄せられませんか?」
「デザインは一切変えず、従来機を上回る性能のものを作るというのが私の出したオーダーです! 一先ず、二週間で外装パーツを五パターン用意してください!」
「二週間⁉ しかも五パターン⁉ さっきは三週間っていったじゃないですか!」
「スケジュールを刻んだら二週間しかなかったんです。二週間でお願いします」
「無茶ですって! ほぼ、オーダーメイド。完全新規案件ですよ……!」
「観念してください。働きも三倍要求するつもりでスカウトさせていただきました」
「なんてこった!」
「私のデザインから設計データを起こし、兵器開発部へ卸す。実物が出来るまでの時間込みで二週間のデッドです。そうしないと試合に間に合わない」
「それもう! 帰らず、寝ずになんとかしろって言ってるのと同じですよ⁉」

 マツキは熱い鼻息を噴出する。ソーンラッドも感情的に言った。

「私はできる人にしか仕事を振りません!」

 一瞬、マツキの気勢が削がれる。

「貴方の才能が、コードビーストを完成させるのに必要なんです!」

 ソーンラッドの声がテラスに響き渡り、シーンとなる。
 傍で見ていたベガは「おぉ」と声を零した。遠巻きで見ていたレベッカとダードも思わず息を呑む。誰より至近でソーンラッドの熱意を浴びたマツキは、用意していた反論の言葉を、不満と共に飲み込んだ。

「ッ……オタクが喜びそうな言葉使いやがって」

 マツキは髪をガリガリ掻き、観念したように直立する。

「わかりました! 二週間でやってみます! その代わり開発部への発注、折衝諸々は俺の裁量でさせてもらいますよ」

 ソーンラッドは「お願いします」と破顔した。

「胸のライオンはどうかと思いますけどね!」
「それが一番カッコいいんだ!」

 レベッカとダードは、絶対に無理だと半ば匙を投げていた。しかし、マツキは僅か二日でコードビーストの設計図を完成させると、兵器開発部へ発注を完了させた。




 ヴィレッジ参画から三日後。
 テラスの執務机に浮かぶ光学画面。ソーンラッドはペンを持ち、画面にデザインを書き込んでいく。こちらは模型《モデル》の設計データだ。このデータを元に金型が作られ、模型《モデル》が量産されていく。
 コードビーストの仕様上、これはソーンラッドにしかできない作業だった。流れるようにペンを動かす彼の下へ、チャメルとデッカーがやってくる。

「すみません、ヴィレッジ。こちらが要望した生産数、半分も通りませんでした」

 デッカーが情けない声で報告する。ソーンラッドは手を止めずに聞き返す。

「それだと、私が出した売り上げ目標額の幾らになりますか?」
「四分の一にも届きません。上はコードビーストを仕掛けるのにだいぶ懐疑的です。その……我々バウト事業部は赤字続きですし、今回は……」

 ソーンラッドは渇いた笑いを零す。

「異物が我が物顔で会社を振り回していたら、いい気分はしないでしょう」

 ペンを置き、ソーンラッドは顎に手を当てる。閃いたように悪い顔になった。

「通った模型《モデル》の生産分ですが、すべて先行予約分に突っ込んでください」
「「ハァ⁉」」

 デッカーだけでなくチャメルも声を漏らす。

「この数字は、先行予約分だけでなく、販路に抱えている玩具屋の分も入ってます。そんなの勝手にしたら!」
「要望を突っ撥ねられるなら策を打つしかないでしょう。手配してください」
「……わかりました」

 ヴィレッジはチャメルの方へ手を伸ばす。

「SNS用の宣伝文、考えてみましたー」

 手の上に光学書面が浮かぶ。ソーンラッドがそれに目を走らす。

「やり直し」

 突き返すように言う。チャメルは頬を引きつらせて言い返した。

「アドバイザー……これ、リテイク七回目なんですけど?」

「趣旨の説明はしました。これは開幕一発目の重要な施策の一つです」

 冷淡な目つきでチャメルを見返す。

「最低でも一五〇はパターンを出してもらわないと」
「一五〇⁉」
「ゴミを一五〇ではありません。精査し、宣伝として効果あるものをまず一五〇。そのなかからえりすぐった一五を私に持ってきてください」
「たかがSNSに乗せるだけの四〇文字じゃないですか! これって! コマーシャルに使うわけでもないのに……!」
「『たかが』、『四〇文字』に、魂をかけてくださいといってるんです」

 

 ソーンラッドは毅然と言った。

「一秒で読める数字はおよそ一〇文字。私がオーダーしているのは、四秒で人の好奇心を掴む、魔法の四〇文字です。どれだけの情報が入っており、読後にどんな感情を抱き、文字の裏にどれだけの想像を働かせられるか……そこまで考えてちゃんと作ってますか?」

 チャメルだけでなく、デッカーも顔を引きつらせる。

「お客さんにまずリスペクトをもってください。お客さんの目に触れるものは一切妥協をしないでください。暇つぶしなんてこの世に五万とあるんです。コードビーストでなくていいんです。無論、ダウトムーンの模型《モデル》でなくとも」

 ソーンラッドは諭すように言った。

「数ある暇つぶしの中から選んでもらう努力を怠るのは、傲慢が透けて見えた怠慢です」

 チャメルとデッカーもまた、心が追い付かないままソーンラッドに振り回されていた。チャメルの闘いは周囲が引くほどの長丁場になった。
 七日かけ、執念の十五回目でチャメルは宣伝文を通した。




 ダートは代々、アマノガワ商会に仕えてきた軍家系の出だ。
 物心つく頃には荒事に対処する術を修める。当然、フォルテギアの操縦にも精通している。
 ベガの護衛任務に加え、内製のフォルテギアのテストパイロット業務をもう二〇年近くも請け負っている。
 ヴィレッジ参画から七日後。

「クソ!」

 ダートは巨大な正方形に拳を当てた。鈍い反響音が屋内に響き渡る。
 ダイバースーツのような服に生命保護キットが一体化した、黒いバウトコスチュームを纏っている。強面の額に太い血管を浮かべていた。ここは社内施設にある、シミュレータールームだ。ダートはソーンラッドから別名を言い渡されていた。

「何日もこんなことやらせやがって、あのガキッ」

 体内がグルグル回る。まだ酔いのような気持ち悪さが残っていた。その不快感が、抱えている苛立ちを助長させた。

「こんなもん、フォルテギアですらねぇ! クソ、このッ」

 シミュレーターの壁を蹴る。蹴る。数日の鬱積を物に当たって発散する。

「なんで俺が! あんなガキに顎で使われなきゃ! お嬢の命令じゃなかったら……!」

 壁に額を叩きつけ、茹で上がる怒りを冷まそうとする。

「……俺も焦ってたってことか」

《少なくとも興味は抱いていただいた様子ですので……この企画の狙いと、私の目標売上を説明させていただきます》

 ソーンラッドが打ち上げたコードビーストの売り上げ目標。
 それに夢を見てしまった。四〇にもなって。無思慮にも飛びついてしまった。
 社内でお荷物扱いされる、このバウト事業部を立ち直せるかと思った。親の七光りと陰で揶揄される、自分たちのベガ(上司)を見直させてやりたかった。
 しかし夢も目標も、他人に乗っかって叶えるものではない。そう思っていたはずなのに。

「知らず知らずのうちに、守りに入ってたってことか」

 ダートはボソリと零す。すると遠巻きで声を掛けられた。

「そろそろいいですか」

 鼻デカお兄さんのデッカーが愛想笑いを浮かべながらタオルを持ってくる。ダートは恥ずかしくなり、ひったくるようにタオルを奪った。

「ダートさんも人間なんすね」
「他のヤツには言うなよ」
「難しいですか? 新型は」
「……難しい、難しくない以前の話だ」

 ダートは汗だくの顔や頭をタオルで拭く。

「砲撃戦を強いる部隊に、射撃武器を使わず勝て。しかも単騎で……アドバイザーのオーダーはそういうことだ。その上、機体がこんなんじゃ弱音だって吐きたくなる」
「アージェさんが合流する前までに操縦ノウハウをまとめておけ、ですからね。そろそろ機体スピードにも慣れてきましたか?」
「真の敵はスピードより、高すぎる運動性だ。可動域が広すぎるから視界が目まぐるしく変わる。重心も安定しないから遊びが効かない。姿勢制御の難しさが従来機とはダンチだ。悪い意味で搭乗者にストレスフルな機体になってる」

 ダートの所感をデッカーは光学映像に打ち込んでいく。

「戦時中の決戦機。昔、親父に乗せてもらったが、アレに近い。搭乗者の負担を無視してでも機体性能をスピードに全振りした感じだ。その点で言うとマツキって技術者、腕は本物かもしれん。機能性を削ぎ落したあのデザインから、ちゃんと兵器へ昇華させている」
「そんなの、アージェさんに扱えるんですか?」

 ダートは教習員の免許をもっているほどフォルテには精通している。そんな彼がここまで手を焼く機体となれば、新鋭のグラップラーには荷が重いと思うのは自然だった。

「それをマシにすんだよ。開発側にフィードバックして今から直せるところは直していく」
「ですね。今日の分の所感聞かせてください」

 デッカーは操縦マニュアルの作成を命じられていた。これは機体の仕様上のものとは別の、グラップラーに操縦のいろはを伝える『虎の巻』的なものだ。
 ここ数日は、ダートの後ろについて回り、話を聞いては文面に起こしていた。

「あと『回転は一〇回まで』。これも重要事項に付け加えおいてくれ。吐きそうになった」

 ダートは疲れた顔でそういった。




 ヴィレッジ参画から十日後。
 渋々。仕方なく。何となく……三者三様。形式上はソーンラッドに従っているダート、デッカー、チャメルと違い、レベッカだけは頑なに態度を変えなかった。

「レベッカさん。私は今日までに十、パターンを持ってきてくださいと言いました」
「思い浮かばなかったんですよ。わかるでしょ? クリエイティブな仕事をやってれば」

 長身巨乳の美女、レベッカは目も合わせない。
 テラスに間借りした執務スペース。ソーンラッドの机の上には六パターンの衣装デザインが光学画面に映り、並んでいた。これは彼女に命じた、バウトコスチュームのデザイン草案だ。最初に持ってきたデザインをソーンラッドが蹴ってからは、ずっとこんな調子だった。

「そんなに俺が気に食わないですか」
「言わなきゃわからない?」

 ソーンラッドは声を冷たくして言うと、もっと冷たい声が返ってくる。

「私はお嬢の部下でアンタの部下じゃない」
「感情で仕事しないでくださいよ。貴方だって雇われの身でしょう」

 そういうとレベッカは机に身を乗り出し、ソーンラッドに顔を近づける。ソーンラッドは思わず体を引かせた。

「アンタに給金はもらってないッ」

 話は終わりだというように、彼女は踵を返そうとする。

「嫌ならデザイナー部に発注しな」

 行こうとした彼女の背中に、ソーンラッドの言葉が浴びせられる。

「そうやって軋轢を生んで、デザイナー部を追い出されたんでしょうね」

 レベッカは思わず振り返る。その双眸はこれでもかといわんばかりに広がっていた。

「女の職場じゃ、貴方みたいな正直な人は疎まれるでしょうし……でも貴方には実力があった。だからここにいる。ベガの人を見る目は本物だ」

 ソーンラッドが言ったのは、何もレベッカだけの話ではない。
 心無い先輩の苛めで心身を壊し、社内のお荷物と認定されたデッカー。
 上司に言い寄られ、断ったせいで社内に居場所を失ってしまったチャメル。
 デッカーは市場分析の能力で。チャメルは広告センスの高さで。
 他にはない非凡な能力を持っていた。ベガは彼らが潰れてしまう前に、自らの陣営に招き入れた。それは元デザイナー部{チーフ}のレベッカも同様だった。

「私は売るプロでもあるが、創るプロでもある」
「?……仕事は今回が初めてって言ってたじゃないか」
「詳細は明かせませんが、少なくとも私は貴方の一〇倍は実務経験がありますよ。こなした案件の数で言えば、ですが」

 レベッカは怪訝そうな顔になる。しかしソーンラッドは嘘をいっていない。
 ソーンラッド・リブソールとしての仕事は今回が初めてだとしても。生前、奏形創司がこなした企業案件は優に五〇〇を超えている。

「常々思ってきた。創作物は純然と、中身だけで判断されるべきだ。製作者とは切って離されるべきなのに、不純物がそれを歪ませる。正当な評価からクリエイターを遠ざける」
「…………」

 どんなに市場で結果を出そうと、業務委託(余所者)だから認められない。
 手柄は自分の上役に行き、脚光は社員たちが浴びる。そんな悔しさなど、感覚が鈍化するほどに体験してきた。いつしかそんなもんだと思えるまでに。

「私は、創作物と人は完全に切って考える。一番良いものを作り、お客さんを喜ばせた者が勝者だ。一番の栄誉を受ける権利を持っていると思う」

 ソーンラッドは「しかし」と続ける。

「創るべき時に、創らない創作者は、ただの人だ。面倒で、プライドばかりが大きくなった! そして私の目には、今の貴方はそう映ってる!」
「ッ!」

 レベッカは頬を引くつかせる。その美しい唇をひん曲げた。

「だったら! 別の奴に頼めって言ってんだよ!」
「わからない人だ!」

 ソーンラッドは椅子を蹴って立ち上がる。

「アンタのデザインが一番良かったから、私はアンタに頼んでるんだ!」

 一瞬時間が止まる。レベッカも目を押し広げて声を無くした。

「……?」
「ダウトムーンで抱えるデザイナー一一三名中、貴方が作るデザインが一番良いと感じたから貴方に頼んでいる! 他に替えが効かないから一番なんでしょう!」

 レベッカは声を無くす。

「お、おだてたって無駄さ。誰がそんな口車……」
「私は自分の感性に嘘をつかない。私の感性が貴方のデザインを欲している。このコードビースト商戦では、貴方のセンスは武器だ。勝つために必要な一ピースなんだ。本気で書いてくれませんか? レベッカ」

 レベッカは言葉に窮する。しばらくの沈黙が続き……。

「見る目はある」

 提出したデザインを回収すると、髪を揺らして踵を返した。

「そこだけは認めてあげる」

 その二日後、レベッカは一〇パターンのバウトコスチューム案を提出し、一発で正式採用にこぎつける。ダウトムーンと契約して二週間……こうしてソーンラッドは宣言通り、コードビースト試作一号機、その外装までを完成させた。