05

 奏形創司。
 享年三五歳。
 職業、フリーランス玩具デザイナー。
 大手玩具メーカー二社を中心に経歴を伸ばし、様々なエンターテインメント分野で案件を手掛け、数えきれない玩具を創造してきた。
 奏形創司は玩具に生き、玩具に殺された人生だった。




 全身鏡に映る、美少年。
 オールバックでセットし、化粧も少ししている。仕立てられた服は、タイラントに未だ存在したことのないデザインだった。
 襟の付いた白いシャツ。ジャケットは折襟付きで、腰丈までの着丈をしている。上着と共布――ジャケットの生地と同じ布――のスラックスは皺ひとつない。喉元を締めるようにして垂らすタイは帯広で大きい。

(やはり馴染むな。ネクタイは)

 仕立屋の老主人は目を糸のようにして笑う。

「お似合いですよ」
「急がせてしまってすみません。入用になりまして」
「もともと暇な店です。卒業式までにと言われていましたが、注文の時点で作り始めていたのですよ。奇抜なデザインとは思いましたが……いやはや。服飾の才能もおありでしたか」

 全身鏡に映るソーンラッドは、自分を見て満更でもないと思う。

「スーツ、と言いましたか?」

 ソーンラッドは戦闘服に袖を通す。

「似合っていますよ。リブソールの坊ちゃん」

 自分にしかできない闘いを始めるために。




 少女の年齢は一〇代前後。
 魔法使いの徒弟のような風貌は、Ⅲシズオカにある小学校指定の制服だ。校舎裏に呼び出された女の子は、平坦な声でこう聴いた。

「あなた、いくら持ってますか?」

 決死の告白をしたばかりの男の子は声を失った。一泊遅れて、革製の布袋を取り出すと、たどたどしく中の硬貨を数えた。

「一九三〇、ラントです」
「持ち金じゃねーよ。個人資産だよ」

 少女の平坦な声が冷淡な声に変わった。
 藍色の長い髪に、赤いリボン。幼くも、将来は美人が確約されているような顔立ち。
ベルガベガ・アマノガワはお人形のように可愛らしい女の子だ。表情もまた、人形のように乏しいが、目は違う。目の前のいたいけな少年を計るような不躾な色があった。

「こじんしさん?」
「……お父さんの年収はいくらですか? 家に車はありますか? あるなら車種を。お家は借家ですか、持ち家ですか? 持ち家なら、大きさはどれくらいですか?」
「ね、ねんしゅー?」
「いちいち聞き返さないでください。話が前にすすみません。あーもういいです。ごめんなさいありがとうございました気持ちはたいへんうれしいですがわたし恋とか愛とかよくわからないので遠慮しますすみませんありがとうまた会う日までさようなら」

 ペコリと頭を下げて踵を返す。男の子はしばらくその場に立ち尽くした。

 正門を抜け、ベガが下校する。赤レンガの並木道を歩いていると声を掛けられた。

「ダウトムーン、バウト事業部部長にして、クラブチーム【ベルデ】の運用主任、ベルガベガ・アマノガワさんですね?」

 彼女の前に立ったのは、スーツ姿のソーンラッド。
 見知らぬ男に声を掛けられたのに、ベガの表情は涼しいものだった。

「誰ですか、貴方? 変質者なら軍警を呼びますよ?」

 そう言ってスマートの光学画面を見せるように呼び出す。
 対してソーンラッドは一瞬、顔を歪めそうになる。動揺をグッと飲み込み、なるべく優雅な所作を意識して、内ポケットから金属製の名刺入れを取り出した。中から一枚抜き、ベガに差し出す。

「わたくし、フリーの【プラモーター】をやっているものです」
「プラ……? なんですか、それ?」
「プラモデㇽのプロモーター、言わばプラモを売る専門家とでもいいましょうか」

 これはソーンラッドの考えた造語だ。語呂もいいし、イメージも伝えやすいので気に入っている。しかしベガは、胡散臭そうな顔になった。

「こういうのは広報課に行ってください。直接、来られるのは迷惑です。あー、お話とかも結構です。あんまり引き留めるようなら一〇歳の利を堂々と使わせてもらいましょう」

 そう言って、光学画面に防犯ブザーのアイコンを表示させた。脅すようにそのアイコンに人差し指を近づける。このクソガキと思うも、ソーンラッドは面に出さない。ただし、貼り付けている笑みの質を変えた。

「では、回りくどいのは止めて本題だけ申し上げますと」

 機嫌を逆立てないようにする微笑から、挑発するような悪い笑みになる。

「死ぬほど儲けさせてやるから俺と組め。ベルガベガ・アマノガワ」

 ベガが防犯ブザーを鳴らす。

「えぇ⁉」

 ソーンラッドは動転した。アニメや漫画だと、ここで話を聞いてくれるのは定番の流れなのに! などと心で叫ぶ。すぐ遠くから軍人らしき人物が二人、走ってきた。

「すみません。ついイラっとしちゃって」
「通報はシャレにならないけど、俺も上からだったしそうなるのも無理はない! すまなかった、後生だから俺の話を聞いてくれ!」

 ソーンラッドは涙目で謝る。やってきた二人の軍警に後ろから腕を掴まれた。

「謝っても遅いんだよ、このペド野郎!」
「懺悔は汚い飯を食いながらするんだな、このロリコンが!」
「ロリでもなければペドでもない! 俺はもっとムチっとした女の方が好みだけど、こういうベクトルの魅力があるのも知っている!」

 人生オワタと思い、目の奥に涙が滲んだ。一方ベガは、その様子を見て満足したのか防犯ブザーを止める。

「すみません。よく見たらその人、従兄弟のお兄ちゃんです。急に声を掛けられたのでびっくりして鳴らしちゃいました」

 軍警たちは顔を見合わせる。渋々といった様子でソーンラッドを開放した。

「次は気をつけてください」
「街で見かけたときは覚悟しろよ、ペド野郎」
「私は胸の大きな女が好みだ!」

 ソーンラッドは言っていて空しくなる。
 片やベガは、ソーンラッドの名刺をマジマジと見ていた。

「……ヴィレッジ? 名前ですか?」

 明記されていたのはソーンラッド・リブソールの名ではなく【ヴィレッジ】という字名。

「……コードネームのようなものです」

 ソーンラッドは名刺入れを内ポケットに戻し、スーツの乱れを正す。

「本日二〇時まで連絡をお待ちしております。一秒でも過ぎれば、その薔薇色のチケットは別の商社に渡ると思ってください」
「何をもってこれが薔薇という表現になるんですか?」

 ベガの表情は変わらない。しかし、瞳の色は変わっていた。
 ソーンラッドは口の端を釣り上げるようにして笑う。

「私と組めば排水溝に水が吸われるように、タイラント中の金が懐に舞い込んできますよ」

 ソーンラッドは囁くようにベガに言った。

「その際はどうぞ一生涯、悔やんでください」
「……」

 夜を待たず、ベガはそのままソーンラッドを会社へ連れていく。ソーンラッドはアルジェを五臆で買った会社、【ダウトムーン】へのコンタクトを成功させた。




 豪奢だが、古さを感じさせる応接室。ダウトムーンの創始者であるベガの先祖が、肖像画となって掲げられている。
 床には高級な織物絨毯。華美なデザインの古いソファが対面で二つ置かれる。目を引く調度品の数々はどれも高そうだが、古さも目立つ。
 古い成金が抱いていそうな顕示欲の表れている部屋と言えた。

(ふぅ……もう禿げそうだ。持ってくれ毛根。せめて結婚するまで)

 ソファに座って一息ついた。
 古武器商【ダウトムーン】――
 戦時中、中古武器の販売から財を成した、よくある成金商会の一つだ。
 戦後は武器の需要が絶無となり、タイラントをにぎわす模型事業にも手を出す。兵器開発のノウハウを活かし、現在はフォルテギアの製造と販売を行っていた。
 バウトにも登録しており、チーム【ベルデ】の機体も自社内で開発している。
 ダウトムーンとは、模型《モデル》で一儲けしてやろうという、タイラントではどこにでもある中堅メーカーの一つと言えた。

(機体開発をしているとは聞いていたが……模型《モデル》の開発から販売まで、自社で完結させているのは凄いな)

 ベガの説明で、ソーンラッドはダウトムーンの評価を改めていた。

(環境に問題が無いとすれば、問題は売る商品にありそうだ)

 ソーンラッドはベガに接触するまでに、ダウトムーンという会社を調べ尽くしている。
 チーム【ベルデ】の戦績はお世辞にも良くない。
 プロモーションも派手な施策を打たなければ、どこかで見たようなことの真似ばかり。
 それは模型《モデル》の売上にはっきり出てしまっている。数字を眺めれば、びっくりするほど売れていない。ただし、もともとは戦畑で成功した会社だ。フォルテのラインナップを見ても、開発技術はちゃんとあるのだろう。

(ここだけではない。トップメーカー含め、タイラントの人間は模型《モデル》を売るということをまるで理解しちゃいない)

 考えごとを整理していたら、着替えたベガが入ってくる。
 赤い生地の肩マント。それはまるで、軍司令官のような装いだった。元軍国家のタイラントではどの会社も管理職の人間はこのような格好をしている。その後にぞろぞろ続くのはマーケティングチームの面々だ。ローブ姿の学者のような恰好をしている。背中にはダウトムーンの社章である《月と杯》のマークがあった。
 ベガがソーンラッドの正面に座り、その周りにローブ姿の社員たちが並んだ。

「お嬢。これを社外の方に見られるのは……」
「いいです。お見せしてください」

 耳打ちした中年社員にベガは平坦に言う。するとその社員はソーンラッドに軽く一礼し、光学書面を広げて見せた。
 ソーンラッドはそれを受け取り、指で払いながら速読する。
 それは前回、アルジェがやるはずだった予約戦の計画表――
 ダウトムーンが仕掛けるはずだった再生と失敗までの顛末が書いてあった。
 失敗の主原因は……機体デザインを担当していた外注デザイナーが逃げたこと。それを見てソーンラッドはうわーと思う。

(いるんだよ、こういう奴。できもしないのに仕事だけ受けて。実際にやってみたら、モチベーションあがんないとか、書けないとか、散々ごねた挙句、仕事まで落としていくんだよ……しかもそういうのに限って、陰で美味しい仕事受けてるんだよなぁ)

 頁を送る。機体のラフ画のようなものも添付されていた。

(ハイ出た。最中デザイン、カスタードクリーム抜き)

 売れ筋デザインの焼き回し。中途半端に差別化を図ったのが、逆に改悪ポイントになっている。ご愁傷さまと思いつつ、データを机上の脇へ置いた。

「率直に聞きます」

 ソーンラッドの読了を確認し、ベガが口を開く。

「今、お見せしたそのデザインに勝るものを卸し、止まっている模型《モデル》事業を再開していくのが弊社……いえ、弊社バウト事業部の急務となっています。貴方にそれができますか、ヴィレッジさん」

 ソーンラッドは笑みを深くして見せた。

「ええ。意図も容易く」

 断言する。ベガは眉を上げる。他の従業員たちにも動揺が走った。

「ただしそれには二つ条件があります」

 ソーンラッドは、彼らの前で人差し指を立てる。

「一つ。新機体の予約戦が終了するまで、企画周りの全権を私に移譲すること」
「んなアホなッ!」

 怒気の孕んだ声が応接室に響く。ベガの側近と思しき強面の中年社員だった。
 ソーンラッドは無視して「二つ」とVサインを作る。

「私の方針に一切の口出しをしないこと」

 この場の従業員、全員の顔が引きつった。空気が最悪になってもソーンラッドは態度を崩さない。ソファに背中を預けて足を組み、手を組み合わせる。
 精一杯の去勢で大物を演じた。

「以上。この二つを守れない以上、私は御社と契約は結びません」

 大柄な女性の社員が「言わせておけば!」と身を乗り出した。ソーンラッドは内心で情けない声を上げたが、ベガはテーブルを指でコンと叩いた。

「お嬢!」
「……私はよくてもこの通り、社員らが納得しません。納得のいく説明をしてください」

 ソーンラッドは高い鼻を持ちあげる。

「儲けるためです」 「そんなんわかってるわ!」

 中年の社員が声にドスを効かせる。ソーンラッドはその怒鳴った彼を冷淡に見返した。

「分かってないから、あなた方の模型《モデル》は売れていないのでしょう?」

 感情的に出られた手前、ソーンラッドも抱えていた不満をもらしてしまう。

「貴方たちの持っている既成概念、通念、当たりまえ……そのどれもがズレているから結果にならない、なっていないッ。それを押し付けられ、失敗した責任を私になすりつけられても困るからこの措置が必要なのです」

 ソーンラッドは突き放すように社員たちに言う。

「私はヴィレッジという名でこの場に応じている。この名は私にとって命を賭けているのと同義……ヴィレッジが玩具に関わる以上、敗北は許されない」

 ソーンラッドは組んだ足を戻す。テーブルに両手を置いて背を丸めた。覗き込むようにベガに顔を近づける。

「私はあなた方に勝利を強要します」

 その目の奥は血走っている。固い表情には揺るぎない覚悟が覗いていた。黙っていられなかった従業員たちも思わず口を閉じる。

「唸るほど儲けさせてやるから黙ってろ――――たった、それだけの話です」

 しかしベガだけは僅かに口元を緩めさせている。それは興味と興奮を抱いた証拠だった。

「……して、報酬の額は?」
「一億ラント」

 あまりの額に一同は声を失う。再び喧々囂々の非難が上がった。しかしソーンラッドは無言で表情を崩さない。ベガだけを正視する。まるで揺るがないソーンラッドの態度に、次第に声は収まっていく。やがて静寂が応接室に戻ってきた。

「ヴィレッジの一案件は一律その値段でやろうと考えてましたが……{この世界では}これが私のデビュー戦――」

 その言い回しにベガが僅かに愁眉を崩す。

「今回は無報酬でお受けしましょう」

 三度目の動揺が走る。ベガだけは笑いを零す。ソーンラッドはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「これでも、無茶な申し出をしている自覚はありますので」

 そう言ってから鞄から紙媒体の企画書を取り出し、机上に置いた。

「紙?」
「あ、お爺ちゃんの書斎で見たことある」

 若い社員が紙の企画書に興味を抱く。タイラントでは紙という資源は、見かけなくなって久しい。

「データ上だと盗まれる可能性がありますから。私、ヴィレッジが持ち込む企画、及びアイデアはすべて紙ベースで提案させていただきます」

 ベガは紙に手を伸ばし、一瞬躊躇する。それから見てもいいかと視線で聞いた。

「どうぞ。私の造形は、私でないとその稼働を可能にできませんので」

 ベガは企画書を取り上げ、めくっていく。ソファの後ろに従業員たちの首が並んだ。後ろからソーンラッドの企画書を覗き込んでいた。

「なになになに?」
「……これは」

 二〇代前半と思しき、若い従業員二人がまず食いついた。ベガもまた声を失っている。その反応に好奇心を押さえきれなかったのか――

「見えないよ」

 大柄の女性は若い連中をどかして、後ろから紙を覗く。一読したベガはそのまま彼女に企画書を渡す。その女性社員は読み始めると「はぁ?」と、いぶかしげな声を漏らした。

「……どう思いますか?」

 一番の古株と思われる中年の従業員に企画書を見せる。強面の、一番不満をぶつけてくる社員だ。渋面の皺がすぐに濃くなった。

「なんで胸に……{ライオンがついているんだ}?」

 大柄の女子社員が追随する。

「そう! コレ、何の意味があるの? ってまず思った」

 彼女の声を皮切りに、率直な意見が飛び交い始める。

「フォルテのデザインから離れすぎてる風に私は思う。今、流行りの装甲カットモデルよりもずっと細い」
「だな。なんでわざわざ、機能性を削ぐようなデザインにしてるんだ?」

 他の若い社員二人も話し合いに加わる。

「見るからにバランスが悪いんですよね。バウトはまず射撃戦になりますから、直撃した時の損害が気になります。これだと使える武装にも制限がかかりそう」
「見たことないのは確かなんだけどー」
「足周りも細さからくる、バランスも心配かなぁ……操縦面に問題が出てきそう。グラップラーの慣熟性の悪さにも繋がってくると、量産にも不向きなんじゃ」

 このデザインのここが良くない。これはどうなのか。マイナスの意見ばかりが挙がってくる。ソーンラッドは涼しい顔でしかし、その一つ一つを注意深く聞いていた。これだけマイナスなコメントが飛び交う中、それでも決定的な『否決』が出ていないのだ。『失敗します。止めましょう』……そういう断定の言葉は誰も言っていない。
 四人はしばらく意見を交わし、ベガの方を向いた。

「して、最終的な見解は?」
「……このデザインには四方八方に問題を抱えている、という感じですかね」

 企画書は強面の社員から、再びベガの手に戻ってくる。ベガは数ページめくり、デザイン画をもう一度しっかりと見直した。

「『止めましょう』、とは言わないんですね」

 ソーンラッドは両眼を開く。思わず感嘆の声を漏らしそうになった。
 そう。結局のところ、彼らは判断しかねているのだ。まるで見たことのないデザイン。このデザインコンセプトに込められた『新しい概念』がバウトに放り込まれた時、いったいどんな化学反応が起こるか。そんな後ろ髪を引かれる感覚を彼らが覚えたことを、ベガは鋭敏に嗅ぎ取ったのだ。

「私も{見たことがありません}。こんなフォルテギア」

 ソーンラッドは注意深くベガの反応を探る。

「こんな見たこともないデザインを思いつけるデザイナーが、果たしてタイラントにどれだけいるんでしょうか?」

 未知への警戒。予想が立たないことへの不安。
 同じく同居しているのは、振り払いきれない期待。好奇心。
 このデザインを世間に受け入れさせるのは、タイラント世界に新たな価値基準を創るのと同義、とソーンラッドは考えている。そしてこの聡い少女も、それに気づいたと思った。
 ソーンラッドはダメ押しで新たな判断材料を見せることにする。カバンから一つの造形物を取り出し、テーブルの上に立たせた。

「これがそのデザインを模型《モデル》にした際の、1/144規格です」

 若い社員らは一斉にテーブルに近づき、模型《モデル》を横から後ろから覗き込む。ベガもまた、手に取り、じっくりとその模型《モデル》を観察した。

「少なくとも興味は抱いていただいた様子ですので……この企画の狙いと、私の目標売上を説明させていただきます」

 ソーンラッドは、一七とは思えない手腕でプレゼンテーションを開始した――――