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《ごめん。NDA……機密保持契約っていうのを結んじゃったから、チームに関係することは話しちゃダメなんだって。前、デザイナーが逃げた話とかしちゃったけど、あれも内緒にしてね》
デビュー戦から既に一週間。その通話を最後に、アルジェとの連絡は途絶えていた。
アルジェが先週行ったのは【再販戦】と呼ばれるものだ。
『売切になった模型《モデル》を再販売するので是非買ってください!』という、既に販売済みの模型《モデル》を再プロモーションするための試合だ。
主にビーダッドのような人気チームが行う。何故なら強いチームの模型《モデル》は売切れが頻発するからだ。
しかし、アルジェたちダウトムーンが当初発表していたのは【予約戦】。
『今度、この新型機の模型《モデル》が出ますので予約お願いします!』という、新発売の模型《モデル》をプロモーションするための試合。
この二つの大きな違いは対戦カードの傾向にある。
ランキング上位のチームが対戦を所望する再販戦に対し、予約戦は上位から下位までのチームが対戦カードに挙がってくる。本来、アルジェが対戦するはずだった相手チームもベルデと大差ない弱小チームが相手だった。
しかし、ダウトムーン側が自社の新型機を完成させられなかったせいで、決まっていた予約戦を辞退。そのペナルティとして、対戦相手が見つからなかったビーダッドの再販戦に充てられることになった。
ソーンラッドは状況からそう推察している。
(こんなものダウトムーン側の責任だろッ)
今日も欠席しているアルジェを想い、ソーンラッドは自席で唇を噛む。
(ただの女学生が、デビュー戦であんなアマネ(バケモノ)に勝てるわけないだろう!)
今回の再販戦でアルジェたちが行ったのは、売れ残った模型《モデル》の再プロモーションだ。顧客たちの間でこのような試合は『在庫整理』と揶揄されている。
アルジェがプロモーションした【量産型ダムス】の売上は試合後から毎日チェックしているが、試合中に売上グラフが少し上がった以外、売り上げに伸びは無い。
対してアマネのプロモーションした【エルメンテ】は試合が終わって一週間経っても順調に売上を伸ばしている。
これがタイラントの玩具経済社会。
人々はバウトで勝利したチームの機体に熱狂し、その模型《モデル》だけを買う。
ソーンラッドが毛嫌いする、露骨なまでに偏重したエンターテインメントの実態だ。
(デビュー戦であいつがみせた試合内容は素人目でみても悪くない……と思う。むしろ観客を沸かせたバウトメイキングに、会社側も悪い評価はしないはずだ)
これについては不幸中の幸いだった。ネット上でのアルジェの評判は思いの他良かった。
バイザーで顔を隠す美少女グラップラーが、初陣であの戦場のショーダウンに一矢報いたのだ。試合にも、驚きと良い裏切りがあった。チームや会社をこき下ろすことはあっても、アージェ・メルヴェという選手を貶める声は観測できてない。いい意味で観客の記憶に刻まれたデビュー戦にはなった。
一重に、アルジェがド根性で掴み取った結果と言える。
(とはいえ、結果は惨敗。予約戦もできなかった以上、アルジェの実家に仕事は降りない……工場の融資はどうなった? ストップなんてことはないよな? ダムスが多少なりとも売れて在庫整理には貢献した。あれは功績に換算されないのか?)
不安の雲が広がっていく。もしグラップラーとしてお払い箱にされたら?
アルジェの容姿は美しい。娼館で働かせるなんて話があっても不思議はない。
(今日、アイツの家に行ってみよう)
ソーンラッドは放課後、アルジェの家に行くことにした。
タイラントは【聖地シズオカ】を中心に、三五のシズオカで形成されている。
首都・Ⅰ(ファースト)シズオカは一流メーカーを筆頭に、その直営工場が近年で爆発的に増えている。雇用を求めて人々はIシズオカに集まり、物と金が生まれ、また人が集まっていく。そのことから、他のシズオカは過疎化が露骨なまでに進んでいる。
職人の伝統技術で栄え、古都としても愛されてきたⅢシズオカにもその風潮は忍び寄っているといえた。
(卒業を機に、Ⅰに引っ越す生徒も多いみたいだしな)
ソーンラッドは街頭で配られたビラを見る。
内容は、国営メーカー【タイラント国有玩具製造】・通称【国玩】が、大規模な工場計画を打ち出したという触れ込みだ。大量の人員を募集していた。
(けっこう行きたがる奴、出てくるんじゃないか?)
国玩は国営企業ということもあり、雇用を守ることでも有名だ。
しかし、社員を使い潰すことでも有名だった。薄給なのに激務。しかし『模型《モデル》』のラベルに引き寄せられ、肩書が欲しい者たちが次々と集まってくる。
《Ⅲ(サード)にある模型《モデル》関係の工場は今、どこもそういう状態みたいで……うちもメーカー側から一方的に案件を打ち切られた感じなの》
(これと関係があるのか?)
ビラをカバンにしまう。それからソーンラッドは制帽を真っすぐ被り直す。
アルジェの父は社長である前に、厳格な一職人だ。礼を欠けばゲンコツが飛んでくる。しかし、そんな彼をソーンラッドは慕っている。
小さな工場だが腕利きの金型職人を何人も抱えている。軍貴族として普段、何をしているか分からない父よりもずっと尊敬しているといえた。
それが――――
(嘘だ)
物陰に隠れるソーンラッド。その光景に立ち眩みさえ覚えた。
工場の前に立っていたのは三人の男。賢者のようなローブ姿の男たち。背中にはタイラント硬貨のラントマーク。銀行の金貸しだとすぐに分かった。対し、彼らに{土下座}をしているのが――
(オジさん、やめてくれ……)
地べたに額をつき、無言の懇願をしているアルジェの父。彼を慕う従業員が何人も、涙ながらにやめてくださいと叫んでいる。ソーンラッドも同じように声を上げたかった。
作業場の一画を当たり前のように使わせてもらってきた。フォルテギアも操縦させてもらった。本気で金型職人になってみないかと声をかけてもらった。一流の職人にそういってもらえて本気で嬉しかった。
従業員も、ほとんどが顔見知り。何度も一緒に食卓を囲んだ。友達などいないが寂しいと思ったことはない。先生であり、友であってくれた気の良い兄貴分が、あの工場に行けば会えたから。アルジェの父の姿を見て、ソーンラッドは事態の深刻さを本当の意味で理解する。
(アルジェは、みんなの生活を守るために)
五億ラント。
彼女が負った金額の重みこそ、今、目の目に広がる人たちの人生の重みだ。
ソーンラッドは無意識に鞄を抱きしめる。生地に指がめり込むほど強く――――
ソーンラッドは奴らの後を付けた。
工場を去った金貸したちが落ち合ったのは一人の男。
中性騎士の式典服を纏う、銀縁の眼鏡の男。歳は三〇前後。鷲のような鼻と怜悧な目つきが印象的な男だった。
兜と歯車にTNTPと刺繍されたエンブレム――【タイラント国有玩具製造】を示す紋章。
ソーンラッドはその男の顔に見覚えがあった。男の素性と今回の事態が一つの線で繋がる。頭がカッと熱くなった。
「ダッドマン・ロンベルト!」
声を張り上げて四人の前に立つ。突然現れた制服姿の学生に、金貸したちは露骨な不快感を面に出した。
「誰だ君は」
「学生か? 急に失礼じゃないか」
金貸したちなど、もはや眼中にない。
睨んでいるのは眼鏡の男、ダッドマン・ロンベルト――
国玩の市場開拓部・部長に抜擢された若き秀英。バウトチーム【ギガースロット】のゼネラルマネージャーであることから、ソーンラッドの頭には彼のプロフィールが叩きこまれていた。
「Ⅸ(ナイン)の次は、Ⅲ(サード)ということか!」
ソーンラッドのセリフを聞くや、ダッドマンの瞳は僅かに窄められた。
Ⅸ(ナイン)シズオカは戦前から多くの工場が密集した工業地帯だ。生産技術を持たない中小の模型《モデル》メーカーから仕事を受けて経済が成り立っている地域と言えた。
しかし国玩が掲げた『国玩の技術を全シズオカへ!』というコンセプトの、大規模工場事業が実行され、事情は一変。
国玩が長年培った模型《モデル》技術と、広大な国有地を使って工場を増設し、地方工場へ流れていた模型《モデル》の仕事を横取りし始めたのだ。
その煽りをもろに受けたのがⅨ(ナイン)シズオカということになる。
経済循環はⅠ(ファースト)の中だけでいい。
国玩が儲かれば国も潤う。Ⅰ(ファースト)シズオカに人が集まってくれば、より高い市民税を国は民から徴収できる。タイラントの経済の心臓はⅠなのだから。
【Ⅰ(ファースト)ファースト思想】――ネットで噂されているⅠシズオカの陰謀論。
その渦中に名を連ねるのがこの男、ダッドマンだった。
「お国の威光に物を言わせ、中小メーカーが卸すはずだった仕事まで横取りするとは……天下の国玩がまぁ、せこいことをするじゃありませんか」
雨が降り、帽子のツバに当たる。
アルジェの父のあんな姿など見たくなかった。従業員たちが泣く姿など見たくなかった。その重圧と戦わなくてはならないアルジェなど絶対に見たくはなかった。
「Ⅲの工場がすべて潰れてしまえば、工場を持たないメーカーの依頼は国玩へ集中する。殿様商売の出来上がりだ。相場も市場も、敵がいなくなった後にゆっくり操ればいい……自由経済が聞いてあきれる!」
興奮するソーンラッドの腕を、一人の金貸しが掴んだ。しかしソーンラッドはそれを振り払う。すごい剣幕でその男のことも睨んだ。
「おまえらもだ! 調子のいいときは金を貸し! 雲行きが悪くなったら金はとり上げる! 晴れた日に傘を貸すのは、どこの世界の銀行も一緒ということか!」
静観を守っていたダッドマン……静かにその口火を切った。
「附けを払う日が来たとは思わんのだね」
低く、しかしよく通る声だった。
「これをやっていれば大丈夫。もう安心……思考を停止し、危機を想像しなかったのは誰だね? 模型《モデル》が齎す、超過需要の上に胡坐をかいていたのは誰かね?」
その迫力にソーンラッドは言葉を呑む。
「新たな利益を構想し、開拓する……これこそ自由経済とはいえないかね?」
ダッドマンは昂りもせず、朗々と言葉を並びたてた。
「この国は弱くなった。待ち望んだ平和が生んだのだ。弛みと膿を。列強の砲弾がいつ飛んでくるかも知れなかった先人は、常に頭を巡らせていたことだろう……寝ても覚めても明日、生き延びる努力を惜しまなかったはずだ」
ダッドマンが一歩を踏む。ソーンラッドは無意識に一歩下がった。
「想像力の欠如が招いた結果だ。模型《モデル》神話が齎した偶像。仕事は無限に降りてくると……餌箱にこんもり積もった仕事に鼻を突っ込んでいた、豚たちの末路だ」
ダッドマンの顔が雨で濡れ、ソーンラッドの顔も濡れる。
「そんな大人たちの結果が集積し……Ⅲ(サード)という街の未来が決まる」
ヌッと近寄った鷲鼻にソーンラッドは尻もちをつく。雨に濡れながらダッドマンを見上げた。口に浮かんだのは悔恨と怯え。そんな彼にダッドマンが差し出したのは一枚のビラ。それはソーンラッドが先ほど鞄にしまったものと同じものだった。
「君は若い。是非、敗けた彼らの姿から学び、強い大人になってほしい」
ダッドマンの口元が僅かに緩む。放心したソーンラッドは震える手でビラを受け取ってしまう。そんな少年の背中をダッドマンは親し気に力強く叩いた。見た目に反し、その力は強かった。
「工員はまだまだ募集している。君のような、自分の考えを言える子がいるのならタイラントの未来は明るくなるだろう。面接に来るなら私の名前をだすといい」
そう言い残し、ダッドマンたちはいなくなる。雨は本降りになっていた。
傘を持ってくればよかった。
泥で汚れたシャツをズボンから出し、同じく尻に泥をつけ……遠くの出来事のように考える。ソーンラッドは緩慢な足取りで、アルジェの実家へ向かっていた。
日も落ち、昏くなった雨の夜で。
「!!!」
ソーンラッドは三度、衝撃で殴られる。
「お父さぁん! 風邪ひいちゃうからぁ!」
土下座したままの父の隣にいたのはアルジェだった。その周りには、雨に打たれながら従業員たちが立ち並んでいる。
ソーンラッドがこの場を去った後も……アルジェの父は、あの姿のままだった。
何かを失ってしまったのだろう。あの姿を見てそう思った。泣いているアルジェの顔に胸を潰され、あの場へ出ていく勇気も掻き消えた。ソーンラッドは、逃げるようにその場から立ち去った。
傘もささず。土砂降りの中、ソーンラッドは帰路を行く。
「あの日も確か……こんな雨だったか」
《戦争が始まったせいで原油が高騰し、採算がとれなくなった。玩具の製造自体ができなくなったんだ……まぁ、生きてればこういうこともあるな》
無力感がこの雨のように全身を打ったのを、心が覚えている。
「思えば文句ばかりだな。不満を垂れ流すだけで何も動かない。ただのガキだ」
《なにが昨年比四〇〇だ。まぐれで上手くいっただけだろ》
《社員でもないお客様のくせに。あー、せーせーした》
「――ッ!」
ソーンラッドの歩幅は大きくなる。
身体は冷たい。しかし、沸々と何かが内から昇ってくるようだった。
心から熱がポンプのように汲み上がり、踏みだす足に力を与える。この大きな感情は、自分に向けられた憤りだ。
ソーンラッドは知っている。どうしようもない現実に翻弄される怖さを。転落していく辛さを。アルジェの胸の内が今、どんなものなのか容易に想像できる。
どうしようもない現実が押し寄せ、自分の人生が掻き乱していく。
ソーンラッドは生まれてからそんな経験をしたことは無い。
しかし、知っている。克明に{思い出せる}。
《ごめんなさい、あなたとの婚約、無かったことにしてほしいの》
「つまらない小僧。ガキ……ソーンラッド・リブソールッ!」
模型《モデル》に殺される。
大好きな玩具が、今まさに、大好きな人たちを殺そうとしている。
{あの時とまったく同じように}。
《契約は今月いっぱいで。今までご苦労様でした……奏形創司(かながたそうじ)さん》
走り出す。
熱情と激情が体内を駆け巡る。ピストンが高速で蒸気を吹き出すように、息吹が鼻孔を行き来している。帰ってきたのは広大な敷地面積に建てられた古い洋館。その邸内は馬車を使って回れそうな広さを持っている。錆びた正門から真っすぐ突っ切り、正面玄関へ。
「ソーン坊ちゃま! びしょ濡れではありませんか⁉ 今、湯を」
「いらん! 今日はもう休む!」
メイドの言葉を無視し、ソーンラッドは自室に駆け込む。鞄をベッドに放る。制帽を壁に投げつけ、引き千切るようにリボンタイを外した。
ソーンラッドの自室――
カーテン付きのキングサイズベッド。古くて豪奢な洋風のインテリア。しかし、それ以外はこの部屋に不似合いなもので溢れていた。壁際には、木製の大きな作業台。机上には何十枚という、紙に書かれたラフ画が散らばっている。ソーンラッドはそれらを思いきり払いのける。
「!」
作業台の天板を勢いよく持ち上げる。
天板がめくられると、作業台の中は大きな収納スペースになっていた。
――夥しい量のデザイン画。
――独自調査した玩具メーカーのデザインや傾向。売れ筋商品のデータデバイス。
――企業の持ち込み用で用意した{数百にも上る}手書きの企画書。
企画書の中の一枚を取り出し、スペースの四隅に手を伸ばす。
「上等じゃないか、{異世界転生}ッ! 見せてやるよ、この世界でも! 奏形創司を!」
スペースの端にあったのは灰色の造形物だ。
胸に獅子を象るデザインのロボット。表紙に手書きで書かれていたのは【コードビースト】という企画名。
「背負ってやろうじゃないか……ヴィレッジの名を!!」
プラスチックモデルから逃げ続けてきた男、ソーンラッドの運命が動き始めた。